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日記

私の元師匠が亡くなりました。足元をすくわれ、罵声を浴びせられ、文句を云われ色々と嫌なことがありました。でも亡くなれば佛さんです生前の事は水に流す事にしました。そしてこの人の早過ぎる死は私に次の事を教えてくれました。それは因果応報です。
因果応報とは善いことをすれば、いつか自分に幸せが巡ってくることいい、悪いことをすれば、いつか自分が不幸に見舞われることを意味しているのですが一般的に因果応報は悪い意味に取られる場合が多いようですね。これは元々宗教の教理を説く重要な部分になっている言葉なのですが、物理や哲学的には因果律と云って原因と結果の間には一定の関係が存在するという原理です。
簡単に言えば物を投げたら飛んで下に落ちる、分かりきったことなのですが、これがあらゆる物事の真理となって沢山の分野に普及し応用されているわけです。

物理上の問題はさておき、私は因果応報を人の行いの面において考えてみました。何事も原因があって結果がある、人を泣かしたり、苦しめたり、悪いことをすれば必ず悪の報いがあると云うことです。そんなことは断言出来るかと云う人もいるでしょう。そうかもしれませんが私は元師匠の早過ぎる死で因果応報を教えられました。確かに世の中にはあくどい事をしたり、人の不幸を喜んだり、人を憎んだり、人の道に外れた事をしたり、人を騙して金を稼いだりしても、涼しい顔をしてどこ吹く風と暮らしている人もいます。そういう人たちも現世では因果応報の制裁を受けなくてもあの世で受けるか、また自分の子供や孫に振りかかってくるかも知れないのです。だから人は平素の行いや感謝、考え方が大切で、自分本位で他人の事をないがしろにしたり不道徳な事をしているとその時は何もなくても、何時か忘れた頃に手痛いツケが廻ってくることにもなり兼ねないのです。

中国の諺(ことわざ)に「殷鑑(いんかん)遠からず、夏后(かこう)の世にあり」という言葉があります。夏(か)の桀王(けつおう)は暴政と悪徳の限りを尽くして国を滅ぼしてしまいましたが、紂王(ちゅうおう)もまた同じようなことをして国を滅ぼしてしまうのです。過去にその例があるにも拘らず、紂王(ちゅうおう)はそれを鑑(かがみ)ともしなかったのです。桀王(けつおう)も紂王(ちゅうおう)も因果応報にはまってしまったわけですね。他人事と思えません。私も元師匠のことを例にして同じ過ちを冒さぬよう、因果応報にはまらないよう気を付けたいものです。世の中因果応報は必ずあるのです。悪いことばかりでなく善い事をすればいつか自分に幸せが巡ってくる因果応報もあるのです。私はこちらの因果応報を信じたいです。